吹き荒れる冬の嵐を突いてフライドバイ981便がロシアのロストフ・ナ・ドヌ空港への最終進入を敢行する。しかし突然のウィンドシアによって着陸は中断を余儀なくされた。2時間にわたり上空の待機経路で機会を窺ったボーイング737の機長は2度目の着陸を試みるが再び復行。しかし上昇途中に急降下に転じ、滑走路端に墜落、全員死亡した。機体の不具合を疑った調査官たちが見つけたものは、パイロットが恐れる死の罠だった。
オランダのアムステルダムを離陸したマーティンエアー495便が便が激しい雷雨を突いてポルトガルのファロ空港に最終進入を行なった。ところが着地から数秒でDC10の降着装置が崩壊、右に傾いた機体は地面に激突分解しながら滑走路を滑っていった。ただ信じられないことにほとんどの乗員乗客はこの大惨事を生き延びた。事故地のポルトガルと旗国であるオランダとが原因究明のための残骸調査を進めるが、謎は深まるばかりであった。
アメリカ空軍が世界に誇る爆撃機がグアム島のアンダーセン基地を飛び立った。ところが離陸直後、パイロットは射出座席で脱出を余儀なくされ、1機およそ20億ドルのノースロップ・グラマンB2ステルス爆撃機は滑走路上に墜落した。それは史上最も高額な航空機事故となってしまった。空軍の調査委員会が島に調査チームを派遣、残骸の中から謎めいた証拠が見つかる。それは真相究明の鍵となる正体不明の警告シグナルであった。
石油関連の設備を積んだトランスエア・サービスの貨物機が激しい乱気流のなかフランス・アルプス上空をナイジェリアに向かっていたとき、右主翼の両エンジンが突如爆発して吹き飛んだ。パイロットは操縦が困難になり徐々に火災が燃え広がるボーイング707をなんとか飛ばしながら決死の覚悟で着陸を試み、無事にマルセイユ近郊のイストル空軍基地に降りた。原因究明に取り組む調査官は、微細な、しかし致命的な損傷を発見する。
突然、機首下げ姿勢に陥ったアラスカ航空261便。クルーはなんとかコントロールを回復しようと努めた。渾身の力を込め、彼らは固着している水平安定板のトリムを何とか正常に戻そうと格闘を続ける。しかしその後、事態は決定的な破局を迎え、MD83型機は裏返しになり、太平洋へと突進していった。機内の全員が死亡し、残骸は海底に散らばるなか、事故調査官たちは最悪の状態を引き起こした決定的な事故要因を解き明かしていく。
ミシガン州の上空を飛行中のトランス・ワールド航空841便が突然右に傾き、制御不能で横転しながら急降下を始めた。地面に激突する寸前、クルーはようやく制御を回復し、デトロイト空港に生還を果たすことができた。原因追及を始めた調査官たちはすぐにコックピット内のクルーの動きに注目する。クルーが何かを隠蔽していると疑った調査官たちは自ら危険な試験飛行を断行して真実を解き明かそうとする。隠されたものは一体何なのか。
1995年11月12日。悪天候のなかコネチカット州に向かうアメリカン航空1572便がウィンドシアと激しい乱気流に巻き込まれる。空港への最終進入を開始した時、管制塔が一時的に閉鎖を余儀なくされたと知らされる。さらに降下したMD83型機は尾根の森の梢に接触し始めた。パイロットはすぐに着陸復行に移って機体を救おうとするが、その前に枝葉が詰まって両エンジンが停止してしまう。残された道はそのまま緊急着陸を行なうことだった。
悪天候のイリノイ州で、コミューター機のエア・イリノイ710便が発電不足に陥り、パイロットはバッテリーの急速消耗に対処しようとシステムを次々に停止させていた。しかしターボプロップ機のコックピットはやがて暗闇となり、最後には墜落して全員が死亡する。しかし発電機は機能していたことが明らかとなり、墜落原因は謎に包まれる。そして事故調査チームはクルーの間違った推測と致命的な決定があったことを突き止めていく。
1994年12月13日、ノースカロライナ州グリーンズボロを離陸したアメリカン・イーグル航空3379便は、同州ローリー・ダーラム国際空港の滑走路まであと数分のところで航路からそれて失速し、森に墜落する。コックピット・ボイスレコーダーから、パイロットはエンジンが1基、停止したと信じ込んでいたと判明したが、実際には何の異常もなかった。調査官は危険を承知でテスト飛行を行い、業界全体に関わる安全上の問題を明らかにする。
元ロサンゼルス・レイカーズのスター、コービー・ブライアントが乗ったヘリコプターが墜落し、乗っていた9人全員が死亡した。操縦していたのは飛行ルートをよく知るトップパイロットだった。世界中が悲しみに暮れる中、調査チームはセレブを乗せた最新鋭のヘリコプターがなぜ墜落したのか、飛行データと現場に残された手がかりから真相を解明する。墜落の原因となったパイロットの錯覚を引き起こしたのは何だったのか?