2014年、スコットランドのシェトランド諸島に着陸進入中のサーブ2000ターボプロップ機が雷に打たれて操縦不能に陥った。機首から急降下するなか、パイロットはメーデーを発信。間一髪、墜落直前になんとかコントロールを回復して、無事に出発空港に戻ってきた。この重大なインシデントの調査にあたった専門家たちは、サーブ2000に特有のある機能が、この大きな災難のなかで重要な役割を果たしていたことを発見する。
フロリダのある企業の幹部らを乗せて、国内を往復していた不定期旅客輸送会社のビジネスジェット機がオハイオ州アクロン空港の手前数キロのアパートに墜落、乗っていた9人全員が死亡した。調査官たちは残骸を調査するものの、目ぼしい手がかりを得られない。ところがレーダー・システムに残されたデータをプロットしてみると、機体は不安定に降下し、不可解な動作の遅れが見られ、最後に悲劇的な破綻に至ったのだと明らかになる。
2006年8月27日夜明け前。50人が乗ったコムエアーの双発ジェット旅客機がケンタッキー州レキシントンのブルーグラス空港を離陸しようとして失敗。機体は滑走路をオーバーランして大破し1人を除く49人が死亡した。NTSBのチームが調査に乗り出すが機長は手順を守る慎重なパイロットの定評があり、操縦していた副操縦士はこの空港に馴れていた。なぜその条件で、リージョナル・ジェットは離陸できなかったのだろうか。
ボーイング社が満を持して世に出した737の第4世代は高効率で高度に自動化され、ライバルのエアバスA320に対抗できる21世紀の旅客機市場を担う最新鋭機と期待された。ところが就航から2年もたたない2018年10月29日、ライオン・エア機が離陸直後にジャワ海に墜落して全員死亡するという大事故が起きる。インドネシアの事故調査チームは原因究明の重圧にさらされるが、それは後に全世界を揺るがす事態に発展する。
2018年4月、ニューヨークからダラスに向かっていたサウスウエスト航空1380便がペンシルベニア州上空高度1万メートルを飛行中に左エンジンのカウル部分が爆発破損した。飛散した破片は胴体にも当たり、客室の窓が割れて急減圧するという事態に発展。パイロットは緊急降下しながらなんとか機体を立て直してフィラデルフィアに向かおうと苦闘するが、客室内は目を疑うほどの惨状につつまれる。
2018年3月、バングラデシュのダッカを離陸したUSバングラ航空211便は世界でも着陸が難しい空港の1つとされるネパールのトリブバン国際空港に向かっていた。最終進入を始めた211便は空港上空でまるで戦闘機の空中戦のような飛行を繰り返し、極めて無理な態勢で滑走路に着地したものの止まれずに空港敷地から飛び出して衝突炎上した。調査チームは操縦していた機長が非常に難しい立場に立たされていたことを発見する。
湾岸戦争で砂漠の嵐作戦を遂行中のアメリカ空軍は、燃料補給任務のためサウジアラビアのジッダから空中給油機KC135ストラトタンカーを離陸させたが、突如左翼のエンジン2基が脱落した。無線による支援が無いなか、クルーは残った右翼の2基を使ってなんとかジッダまで帰還しようと努力する。軍の事故調査官たちはこれらのエンジンが機械的なトラブルで失われたのか、あるいは戦争行為で跳ね飛ばされたのかを調べていく。
1995年6月、アンセット・ニュージーランド航空の双発ターボプロップ旅客機、デ・ハビランドDHC8が厚い雲を抜けながら最終進入をしているときに小高い丘の斜面に激突した。幸い生存者がいることがわかったが、救急隊はなかなか墜落現場を突き止めることができない。救出作業が終わり、調査チームが原因究明の調査に乗り出して、着陸ギアに問題があったことを明らかにするが、原因はさらにコックピットへとつながっていた。
1998年、カナダプロップエア420便がモントリオールを離陸直後に2系統の油圧トラブルとエンジン火災の警告を受けた。なんとか飛行を続けながら空港まで戻ってきたが、消えたと思われた火災は消えておらず、着陸寸前になって左主翼が取れるという異常事態に発展。機体は裏返しになって墜落、乗っていた全員が死亡する。直ちに調査が開始され、たった5分のあいだに起きた連鎖的なトラブルが原因だったことが突き止められる。
2013年、視界不良のなかアラバマの空港に最終進入中だった夜間飛行の貨物機が林の立ち木に引っかかり滑走路のすぐ手前に墜落、直ちに事故調査が開始される。コックピットでの会話が明らかにされ、シミュレーターでフライトが再現された後、UPS航空1354便で何がうまくいかなかったのか特定するために、調査官たちは通例とは違うアプローチを取り始める。原因は悪天候か、機械の故障か、それともパイロット自身なのか。