ブリティッシュミッドランド航空92便がヒースロー空港を飛び立って間もなく、機体が大きく揺れ始め、コックピットに煙の臭気が充満する。クルーは第2エンジンを停止させ、最寄りの空港へ緊急着陸を試みるも、着陸態勢に入ってすぐに第1エンジンまでもが故障。推力を失った機体はM1高速道路沿いの土手に激突する。事故は両側のエンジンの故障により発生したものと思われたが、その後の調査で真の原因が判明する。
元F1レーサーのニキ・ラウダが創業したラウダ航空004便は、1991年5月26日にタイ上空で空中分解し墜落。乗員乗客全員が死亡した。自ら現地へ駆けつけたニキ・ラウダをはじめ専門家たちが原因究明に力を尽くし、やがてエンジンが逆噴射したと判明。調査が進むにつれ、航空業界の常識を覆す驚きの事実が明らかになる。
1989年9月3日、ヴァリグ・ブラジル航空254便のボーイング737-200型機が予定のコースから1100キロも離れたジャングルに墜落。事故調査員は当初、254便の誘導システムに何らかの故障が発生したことが墜落の原因だと考えていた。しかし調査を進めると、254便の墜落の原因は通常では考えられないようなパイロットのミスだったことが明らかになる。
1992年6月6日、パナマシティからコロンビアのカリへ向かったコパ航空201便。離陸後、嵐を避けるために飛行ルートの変更を余儀なくされたが、順調に巡航高度に達したことが確認された。ところが、その直後、機体がふいにレーダーから消えてしまう。パナマとコロンビアの国境に広がる未開のジャングルに墜落したのだ。原因解明のため、さまざまな仮説が検証された末、ようやく浮かび上がったのは思いもよらない事実だった。
フェデラルエクスプレス80便が成田国際空港への着陸の際にバウンド、滑走路から逸脱し爆発炎上した。この事故により10年以上も前に発生した同様の事故が注目される。
アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの遺児として知られたJFKジュニア。1999年7月6日、彼が真新しいパイパー・サラトガを操縦してニュージャージーからマサチューセッツ州のマーサズヴィニヤード島に向かう途中、消息を絶つ。大規模な捜索により最悪の結果が判明。墜落事故調査委員会に原因究明の巨大な圧力がかかる。
コンコルド機がパリのシャルル・ド・ゴール空港を離陸直後に炎上、墜落した。機体のほとんどは火災で失われたが、滑走路上に3つの謎めいた残骸が発見される。燃料タンクの破片、ちぎれたタイヤの断片、そして正体不明の金属片である。フランスの事故調査委員会はこれらの手がかりが相互にどう関連するかを突き止め、何がこの悲惨な事故を引き起こしたのかを明らかにしなければならない。
メキシコの内務大臣を乗せた政府チャーター機が、メキシコ市内の金融街に墜落し、乗っていた9人全員と、地上にいた7人が死亡した。死亡した政府高官の中に麻薬対策責任者が含まれていたため、当初は麻薬組織が仕込んだ暗殺事件ではないかと思われた。彼は以前にも麻薬組織に狙われたことがあったのだ。しかしコックピット・ボイスレコーダーに記録された音声を聞いた調査チームは、今回の事故の全く新しい側面を知ることになる。
霧がかったアイルランドのコーク空港。マンクス2・7100便は、霧が晴れるのを待って上空を旋回していた。管制官から着地許可が出た後、飛行機は通常どおり着陸するはずだった。しかしどういうわけか機体は突然回転し、滑走路へ墜落して大惨事となる。事故原因の究明を任された調査チームは、しだいに霧だけが原因でなかったことを知る。そこで明らかになったのは、空の安全とは程遠い航空会社の実態だった。
カナダの航空機事故調査チームは北極圏での大規模な軍事演習のさなかに、実際の人命が危機にさらされるという異常事態に直面する。ファーストエア6560便は世界の最果ての空港のひとつレゾリュート湾空港近くの丘に墜落。カナダ運輸安全委員会が事故原因の究明に乗り出した。