伝説的なプロゴルファー、ペイン・スチュワート一行を乗せ、オーランドからダラスに向かった自家用機のリアジェット35型がコースを外れた。呼びかけにも応答はない。飛行計画と違い、中西部に向かって北上していく機に深刻な事態が発生しているのは明らかだった。空軍のF16戦闘機が急遽リアジェットを追う。しかしコックピットの窓には霜がつき、客室は暗く静まりかえっている。リアジェットは空飛ぶ幽霊船になっていたのだ。
2001年9月11日。ワシントンDCを離陸直後、アメリカン航空77便はハイジャック犯にコックピットを乗っ取られ、ペンタゴンへの片道飛行を始めた。ジェット旅客機の激突により、アメリカの軍事力の象徴が炎上。ニューヨークでは、2機のジェット旅客機が世界貿易センターのツインタワーに突入していた。このアメリカ本土への攻撃によりおよそ3千人が死亡。アメリカ連邦捜査局FBIはアメリカ史上最大の捜査を開始する。
カナリア諸島で爆弾騒ぎがあり、代替空港となったテネリフェ島の空港は大混雑に。管制官は1本しかない滑走路をフル稼働させて次々に離陸させていく。しかし、天候の急変で2機の747が濃霧のなか離陸することになる。パンアメリカン航空1736便が滑走路を横断中にKLMオランダ航空4805便が滑走を始め高速で衝突、583人が死亡する航空事故となった。調査が進むにつれ原因が複雑に絡み合った複合事故の様相を呈する。
台湾から1時間、チャイナエアライン120便は沖縄に着陸した。パイロットはエンジンのスイッチを切る。そしてシャットダウン・チェックリストを終えたとき火災が発生、機体は炎に包まれた。幸い、機内全員が無事脱出できた。調査チームが事故原因の究明を開始する。しかし検証はごく小さな部品にまでおよび、捜査は無限に続くかに思えた。そして捜査官はついに120便を破壊し、危険が世界中におよぶごく些細な不備を発見する。
夏の盛りの北西フランスで、プロテウス航空706便が通常の飛行ルートから迂回して遊覧飛行を始めた。近くのキブロン湾に停泊しているフランスの豪華客船を上空から見物させようというのだ。ところが船を一周し終えようとしたその時、突然に爆発した。偶然、近くを飛行中の地元の記者が墜落する残骸を写真におさめる。しかし何千もの目撃者がいたにもかかわらず、海底に沈んだ706便に何があったのか、誰にもわからなかった。
コロラド州デンバーを離陸したコミューター機のコンチネンタル・エクスプレス2286便が南西部のデュランゴに着陸しようとして空港のすぐ手前の凍った荒野に墜落した。劇的な救助活動が行われ、事故調査が始まる。しかし手がかりを追った先は行き止まりばかりだ。原因は思いもよらないものだった。
バルセロナからデュッセルドルフに飛行中のジャーマンウィングス9525便が恐るべき降下率でフランス・アルプスに向かっている。管制センターが緊急態勢に入るもコックピットからの応答はない。エアバスA320はまもなくレーダーから消えた。数時間後、墜落現場が特定されたが生存者がいる可能性はなかった。残骸と疑問だけが残る。しかし証拠が積み上がるにつれ、調査官の目の前に信じられないような光景が広がっていく。
ガルーダ・インドネシア航空421便は、雨季で天候が不安定なインドネシア上空を飛行中、大規模な嵐の目を通過。ボーイング737型機は乱気流に乗って激しく揺れ、操縦困難に陥った上に、ついには両側のエンジンまでもが燃焼停止する。パイロットは悪条件の中、ジャワ島のソロ川に不時着を成功させ、乗員乗客60名は1人を除いて全員が無事であった。ソロ川で残骸の撤去作業が開始され、調査チームは事故の原因解明に乗り出す。
エアアジア8501便がジャワ海を飛行中にレーダーから消えた。2日後、捜索隊は最悪の事態を確認することとなった。乗員乗客162人は全員死亡。原因究明のために、各国の事故調査官たちがジャカルタの事故調査チームに合流する。ブラックボックスが解析されるが全容は見えてこない。だが、よく起きる不具合を解消しようとした機長の不可解な行動が、この破滅につながる一連の出来事の引き金になったことは明らかだったのだ。
ボーイング747を改造したナショナル・エアラインズ102便が軍需物資を積んでアフガニスタンのバグラム空軍基地を離陸した。ところがその数秒後、機体は突然コントロールを失い、空中でストールして地面に激突した。事故の様子は偶然通りかかった車のドライブレコーダーにとらえられ、事故調査チームはその映像からある結論を導いたのだが、見落としていた1つの証拠から、原因はまったく違うものだったと分かったのである。