カリフォルニア空港から離陸したアメリカの貨物機、エメリー・ワールドワイド17便が直後に緊急着陸を迫られる。パイロットはなんとか滑走路が見えるところまで戻したが、飛行能力を失い空港から1マイル東の廃車処理場に墜落した。真相解明にあたる事故調査官は乗組員の友人や同僚の話を聞く。しかし、エメリー・ワールドワイド17便のクルーを襲った悲劇を理解するには、もっと突っ込んだ調査と物的証拠が必要だった。
台風による悪天候のなか、台湾海峡の上空を飛行していたトランスアジア航空222便が、着陸に失敗し、リゾート地として知られる澎湖島へ墜落する。当初は悪天候がもたらした悲劇だと思われたが、調査を進めていくうちに原因はそれだけではないことが明らかになっていく。そして調査開始から半年後、同じ航空会社が再び事故を起こしたとき、調査チームは航空会社のシステムに何らかの問題があるのではないかという疑念を抱く。
1988年8月31日。ソルトレークシティ行きのボーイング727、デルタ航空1141便が経由地のダラス・フォートワース国際空港を離陸しようとした直後に墜落、機体が炎に包まれた。108名の乗員乗客のうち94名が無事生還することができたが、14名が煙と炎の中を避難しようとして死亡した。その日の天候や滑走路に原因がないのは明らかだったため、調査官たちは機体そのものか機器に問題がないかを調査し始める。
2014年7月17日。クアラルンプールに向かっていた民間旅客機のマレーシア航空17便が、東ウクライナの戦闘地域上空を飛行中に墜落した。証拠が、墜落の原因は地対空ミサイルによる撃墜だということを示していた。マスメディアによる推測報道と戦争という状況のなかで、調査官たちは298人にのぼる犠牲者の家族のために答えを得ようと決心を固めた。しかしあらゆる局面で政治的な障害に直面することとなってしまう。
2012年5月9日。インドネシアで商談の鍵となるデモ飛行の最中、ロシアの最新型旅客機スホーイ・スーパージェット100が高山の中腹に墜落。乗員乗客合わせて、45人全員が死亡する。インドネシアの航空機事故調査の歴史でも、かつてなく困難な回収作業が行われる。ベテラン操縦士が乗り組んだ高性能ナビゲーションシステムを搭載した最新鋭機は、なぜジャワ島の悪名高いサラク山に激突したのか、必死の調査が始まる。
2014年10月31日。カリフォルニアのモハベ砂漠にあるモハベ宇宙港で、ヴァージン・ギャラクティック社のテスト・パイロットが弾道飛行用に開発された革命的な宇宙往還機、スペースシップ2の試験飛行を行った。しかし大気圏外に向かって加速しながら音速に近づいた宇宙船は、突然分解して墜落してしまう。この事故により、民間宇宙旅行の未来が不確実になってしまうかもしれない。調査官たちの原因追及が始まる。
2008年10月7日。シンガポール発パース行きのカンタス航空72便がインド洋上で突如急降下した。突然の重力加速は激しく、乗客が座席から放り出されてしまう。警報がコックピット内にあふれ、極めて異常な事態に。しかし経験豊かな元戦闘機パイロットの機長はなんとか無事に着陸させた。世界で最も多く使われている機種のひとつで、なぜこのような不可解で危険な事故が起きたのか。真相究明が調査チームの肩にかかる。
1990年11月14日。チューリヒ空港に最終進入中のアリタリア航空404便が、山腹の森に墜落してしまった。乗員乗客の全員が死亡。事故機、DC-9のレーダー軌跡を調べたスイスの調査官は、機体が突然低すぎる高度を飛び始めたことに気づく。だが、証拠を調べれば調べるほどに墜落の謎は深まっていってしまう。航法システムの隠れた欠陥が、パイロットを致命的なコースへと導いたのだろうか。調査官の原因究明が続く。
1994年4月26日。中華航空140便が名古屋空港に着陸寸前、墜落した。乗客乗員271名の内、264人が死亡する事故に。調査官たちは翌朝には滑走路上の焼け焦げた残骸の調査を開始していた。ところが調べるほどに謎は逆に深まるばかりであった。当初、事故はパイロットの完全な操縦ミスによるものと推定された。しかし、2年におよぶ徹底的な調査の結果、当初の推定を大きく越える複合原因であったことが明らかになる。
1987年11月15日、コロラド州デンバーで降りしきる雪の中、アイダホ州ボイシへ向かうコンチネンタル航空1713便が離陸許可を待ち続け、管制官はスケジュールを守ろうと悪戦苦闘していた。ようやく許可が下りたが、この機は地面から離れた途端、傾いて墜落してしまう。国家運輸安全委員会の調査によって、機体自体には何も問題はなかったと判明する。しかし、その後の民間機の運航を変えるほどの原因が明らかになる。