大戦の序盤、ヒトラーの電撃戦によりヨーロッパ西部から追い出されたイギリス軍は、英仏海峡に浮かぶチャンネル諸島の防衛を諦めて島から撤退した。すかさず諸島を占領したヒトラーは、島を要塞化してイギリスの反攻に備えることを決める。小さな島に砲台や対空砲が無数に設置され、コンクリートの巨大な観測塔やトンネルが造られた。ドイツの技術力を注ぎ込み防御を固めた島は、巨大な要塞と化していき、やがてDデイを迎える。
第一次世界大戦の敗戦国であるドイツは、軍備を制限されていたため、ヒトラーによる再軍備の後も兵力が不足していた。ヒトラーは戦車を生かして一挙に敵陣を突破する「電撃戦」に着目。戦車を中心とした装甲部隊を編成し、部隊を空から支援する急降下爆撃機を製造、それら兵器の燃料とするために、石炭から油を作る工場も建造した。ポーランド侵攻の成功により電撃戦の威力を確信したヒトラーは、フランスへの攻撃を始める。
ベルリンから遠く離れた静かな高山地区、オーバーザルツベルク。1923年、ナチスはこの地に、巨大な地下要塞の建造を開始した。寒く険しい斜面を切り開かなくてはならない工事は、当時の土木技術の水準をはるかに超えるものだった。莫大な資材と人員を投じて進められた巨大要塞建造の背景には、ナチス党内の地位をめぐる高官の思惑も渦巻いていた。この巨大要塞の栄冠として山頂に建設されたのが"鷲の巣"である。
ドイツ海軍の潜水艦「Uボート」は大戦の初期、大西洋を航行する連合国の船舶を次々に撃沈した。さらなる戦果を求めた潜水艦隊司令官のデーニッツは、潜航速度の高い潜水艦の開発を促す。ヒトラーの支援を受けて新型のXXI型は完成。製造のための巨大工場も建造された。すでに旧型Uボートの行動は連合国の哨戒機により抑えこまれており、大西洋でのドイツの優位性は失われていた。そんななか、形勢逆転を目指しXXI型は就役する。
太平洋戦争の末期、アメリカ軍との戦局で形成不利となっていた日本軍は、本土上陸をもくろむアメリカ軍を沖縄で食い止めることを決断する。資材が不足する厳しい状況の中、日本軍は総力を挙げて、沖縄の至るところに様々な防御設備を建造していく。島は徐々に"要塞化"した。1945年4月、ついに沖縄の海岸にアメリカ軍の大部隊が姿を現す。その時、日本軍がとった驚くべき作戦に迫る。
1930年代半ば、日本は仮想敵国のアメリカに対抗するため巨大戦艦の建造を決めた。軍艦の数でかなわない日本は、質を高めることに専念し、最大最強の戦艦を設計する。日本の技術力を注ぎ込み、ついに戦艦「大和」は完成した。口径46センチの主砲を9本備える巨艦だった。続いて大和型戦艦の2番艦「武蔵」も完成する。やがて日本の真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発。だが、海の戦いの主力は空母と艦載機に移りつつあった。