1981年7月17日カンザスシティ、ハイアットホテルのダンスコンテストで踊っていた1500人がアメリカ史上最も悲惨な事故に遭遇する。多くの客が、2階から4階に吊られている館内の歩道通称"スカイウォーク"の上で踊っていると午後7時05分頃、2階と4階のスカイウォークが外れ、ダンサー達の頭上へめがけ落下した。114名の命を奪い186名の負傷者を出したこの事故の真相を探る。
1992年10月4日、満載の貨物機EL-AL747型機がアムステルダムのシポール空港から離陸した。ヨーロッパの中で最も人口が密集した都市の上で急上昇していたところ、右主翼の2機の大型エンジンが突然脱落し、地上に向かって落下していった。その後8分をかけ、なんとか空港に戻った燃料満タンのジェット機は、アパートが密集している地域に墜落した。奇跡的にも犠牲者は43名に留まった。これはテロ攻撃だったのか、それとも壊滅的な機械の故障だったのか、または、偶然の事故だったのか?大惨事へのカウントダウンでは、最新のコンピュータシミュレーションと再現フィルムを使い、何が本当にEL-AL1862便を墜落させたのかを明らかにする。
1996年5月11日午後2時4分、バリュージェット航空592便アトランタ行きの離陸許可が下りた。しかし、その時同乗していたパイロットや105人の搭乗者はすでに前方の貨物室に火の手が上がっていたことを知らなかった。離陸後9分もしない内、同機はコントロールを失いフロリダのエバグレイズに墜落し、搭乗していた110名の命が奪われた。しかし、離陸時には何の問題もなかった。どうやって短時間に火災は起きたのか?こんなに空港が近かったのに、なぜパイロットは戻れなかったのか?この墜落は人為的なミスなのか、それとも機械的なエラーが原因なのか?
1987年11月18日の午後のラッシュアワー時、イギリスで最も混雑する地下鉄のキングス・クロス駅は、何事も無く10万人の乗客が行き来していた。しかし午後7時30分、無頓着に捨てられたマッチの燃えさしが、地下鉄史上、最悪の火事へとつながり、31名の命を奪った。消防団員が現場に到着した際、火事は小規模で簡単に鎮火できたが、2〜3分もしない内に、説明できないほど激しい火だるまとなった。この謎の解明には、詳細な炎の動きの検証や、「トレンチ効果」と呼ばれる新たな現象の発見があった。
1998年8月7日、ケニア・ナイロビのダウンタウンで事件は起こった。首都で最も往来が激しい交差点の角にアメリカ大使館が位置していた。10時39分、大使館後方でテロリストによりトラック爆弾が爆発した。今日かコンクリート造の大使館は、この大規模な爆発により、瓦礫の山と化した。数秒後、隣の8階建てのオフィスビルは中にいた人たちと共に崩壊した。歴史上もっとも残虐なこのテロ攻撃は、213名の命を奪い、アフリカ人一般市民、約4000人以上が負傷した。その後、捜査員の調べにより爆弾テロは、タンザニアのダル・エス・サラーム市のアメリカ大使館同時爆発と同様、アルカイーダの一部によるものだと分かる。この事件により、オサマ・ビンラディンはFBIに指名手配されることとなる。
2000年8月12日、軍事演習に参加していたロシアのクルスク潜水艦は、2回の爆発のあとバルト海に沈んだ。爆発の直後、乗員の内23名は生存していたとされているが。結局は118名全員が命を失った。なぜこのような悲劇的な爆発が起きたのか?そして23名の乗員はなぜ逃げなかったのか?