Dデイ翌日、ノルマンディーに上陸した米軍は、ユタ、オマハ両海岸の拠点を結ぶため、独軍占領下のカランタン攻略を目指す。若い指揮官コール中佐率いる第502空挺歩兵連隊、第3大隊は土手道を進攻するも、独軍の猛攻に遭う。さらに妨害工作で通信を断たれ、窮地に陥る。一方、カランタン死守を命じられたフォン・デア・ハイテ少佐の独軍第6降下猟兵連隊は、弾薬が底を突きかける中、最後の抵抗を試みる。
Dデイから4ヶ月が経過し、連合軍は、ついにドイツの西側国境へ到達。さらに東へ進軍するため、米軍4個師団がドイツの最初の主要都市アーヘン攻略を命じられる。しかし、コンクリートで覆われた敵の堅固なバンカーが立ち並ぶ“十字架の丘”に行く手を阻まれる。独軍の激しい反撃が続く中、第18歩兵連隊C中隊を率いる熟練のブラウン大尉は、バンカーを破壊するべく爆薬を抱え自ら敵陣へ乗り込む。
Dデイから約5ヶ月後、フランス北東部の山地、ボージュの森で米軍の1個大隊が独軍に包囲され孤立する。救出作戦が難航する中、将校を除くほとんどが日系米国人で構成された第442連隊戦闘団に出撃命令が下った。深い森の中、“失われた大隊”の救出に向かう日系兵たち。だが、独軍山岳猟兵部隊の激しい反撃に遭い、なかなか進めず、さらに食料や弾薬も尽きかける。窮地に追い込まれる中、1人の兵士がある行動に出る。
1944年12月、ベルギー南東部のオットン村が、アントワープ奪還を目指す独軍の奇襲を受ける。米軍第3機甲師団の主力部隊は既に前線に向かい、村に残っているのは肺炎で療養していた中尉と後衛の将兵のみ。少ない戦力で決死の防衛戦を展開する。一方、第517空挺歩兵連隊が二手に分かれオットンに向かうも、独軍第116装甲師団の激しい抵抗に遭う。そんな中、敵陣に迷い込んだ米軍の若き偵察兵が、重要な情報を入手する。
1945年1月、ヒトラーはフランス、アルザス地方で“ノルトヴィント”作戦を開始。司令官に任命された親衛隊長ヒムラーは、1月30日の政権掌握12周年の記念にヒトラーへ献上するべくストラスブール奪還を目指す。マジノ線のトーチカを攻略した独軍第35装甲擲弾兵連隊は、ストラスブール北東の村アッタンへ進撃。村に到着したばかりの米軍第242歩兵連隊は、地雷を敷設するなど急ごしらえの防御策で決死の抵抗を試みる。
1944年10月、独軍占領下のイタリア北部へカナダ軍シーフォース・ハイランダーズ連隊が進攻。雨が降り続く暗闇の中、増水したサビオ川を徒歩で渡河する。橋は破壊され、川は水位が上昇し援軍を呼べないまま、独軍の輸送路である幹線道路を遮断するべく進撃を続ける。対する独軍は装甲部隊で反撃。第9装甲擲弾兵連隊が送り込む自走砲やV号戦車パンターに、カナダ軍の“戦車ハンター”が携行兵器で立ち向かう。