1988年4月28日、ハワイのヒロからホノルルへ向かう乗客は、高度7300mを飛行中に突然飛行機の壁と屋根が剥がれ落ちるのを目の当たりにした。乗員乗客は時速500kmの強風にさらされ、客室の電話線はすべて切断され、パイロットは死亡したものと思われていた。しかし実際には、パイロットが世界的にも難しい滑走路への緊急着陸の準備を必死に進めていたのだ。
2003年11月22日、フランス人女性ジャーナリストがイラク人テロリストをインタビューしていた最中、テロリストが1機の航空機に向けて地対空ミサイルを発射するよう指令を出した。その標的はイラクのバグダッドへ向かっていたDHLのエアバス300機だった。イラクで戦争が始まって以来初めて攻撃された民間機は、完全に飛行能力を失ってしまったのだ。
1985年8月12日、日航(JAL)機123便の機内に轟音がこだました。酸素不足に苦しみながら、富士山周辺の山岳地帯に向かって迷走する機体をコントロールしようと必死のパイロットたち。30分にわたる風との戦いもむなしく、機体は御巣鷹の尾根に墜落してしまう。単独機としては史上最悪の航空事故の教訓を浮き彫りにする。
1994年4月7日、アメリカ・メンフィスを離陸したばかりのフェデックス705便で、非番の航空機関士がコックピットに乱入。水中銃で武装したその男は、他の乗員を殺害して飛行機を乗っ取ろうとしていた。このエピソードでは、フェデックス705便流血のコックピット内で、衝撃的な出来事が引き起こした恐怖と勇敢な活躍を再現する。
1994年12月11日、空港警備の目を潜り抜けて爆弾を持ち込んだ国際テロリストによってフィリピン航空(PAL)434便が爆発した。爆弾により機体の床に穴が開いた状態で、機長は操縦システムを見事に操り難しい飛行機を無事に着陸させることに成功した。しかし新証拠によって、PAL事件の犯人と1993年に発生した世界貿易センター爆破事件との関連が明るみに…。
米艦船ヴィンセンズは1度に100以上の標的を追跡可能なイージス戦闘システムを搭載した巡洋艦だ。だが1988年7月3日イラン沖で海戦が激化する中、接近する民間機を敵のF-14戦闘ジェットと誤認し、ミサイルを発射してしまう。結果、290人が犠牲となる悲劇が起きてしまった。
1995年1月19日、北海の石油資源を開発する為に嵐の海をヘリで移動する作業員達。視界を奪われながら必死に進んでいたその時、ヘリが雷に打たれた。制御機器は機能しなくなり極寒の海へ墜落してしまう。凍えるような寒さの中、生死をかけた戦いが始まる。
1999年10月31日、NY発カイロ行のエジプト航空990便の機体が突然飛行中に急降下を始め、大西洋岸およそ100kmの地点でレーダーから姿を消した。アメリカの捜査当局は犯罪の影があるとの衝撃の説を展開。悲劇から一転、国際的な論議を巻き起こす事となった。
アエロフロート・ロシア航空はモスクワ発香港行きの直行便を新たに就航させた。1994年3月22日、機長は息子と娘をコックピットに入れていた。その直後、機体は急降下し始め、シベリアに墜落。捜査当局は航空機の機械的な問題とパイロットの判断ミスを解明する。
1996年11月23日、エチオピア航空961便に3人の男が侵入し、オーストラリアへ向かうよう要求した。パイロットは犯人を納得させられないと分かると逆に罠を仕掛ける決意をする。しかし機体は落下し始め、緊急着陸を試みるが、結局120人以上が死亡してしまった。