紀元前1世紀、ローマ軍の捕虜となり剣闘士として戦わされたスパルタクス。強要される危険な戦いと養成所での過酷な生活に抵抗し、仲間の剣闘士と脱走を図る。その後ローマに不満を抱く奴隷たちも参加して大規模になった反乱軍は、ローマ軍を次々と打ち破り国家に衝撃を与えた。最後には敗北するが、この反乱は共和政ローマに変革をもたらし、スパルタクスは抵抗運動のシンボル、自由の象徴として現代に語り継がれることとなった。
ローマ市民を熱中させた剣闘士競技。皇帝ネロに寵愛されたスピクルスは、残酷な闘技場で名声を得て一躍スターとなる。スピクルスは皇帝から富と特権を与えられ、栄光のために戦い続ける。一方ネロは、豪華な競技会を通してその権力を誇示した。64年のローマの大火後、競技の規模はさらに拡大。やがて政権が崩壊すると、ネロはスピクルスに自害を命じるが、彼は姿を消す。最期は謎に包まれ、伝説だけが語り継がれていく。
西暦60年頃、ポンペイの自由民マルクス・アティリウスは借金返済のため剣闘士になる。当時のポンペイはローマによる支配を象徴する闘技場が建設されて間もなかった。マルクスは新人ながらベテラン剣闘士に連勝し、名声と経済的自由をものにする。だが20年も経たぬうちにベスビオ火山が噴火し町は埋没してしまう。マルクスの消息は不明だが、現代に入って彼の活躍の様子がポンペイの遺跡で見つかり足跡が知られるようになった。
西暦80年、皇帝ティトゥスはコロッセオの開場を100日に及ぶ競技で祝った。剣闘士競技や野獣狩りが行われ、その中心にいたのがアフリカ出身の闘獣士カルポフォルスだった。しかし歓声の裏で、帝国の生態系は破壊され、人間と動物は血の見世物のために犠牲となった。ドミティアヌスの時代になると闘技会はさらに過激化。ローマの象徴であるコロッセオは、今も栄光の陰にある暴力と搾取を物語っている。
西暦192年、コンモドゥスは皇帝ながら剣闘士として闘技会に出場。人々に衝撃を与えた。2週間にわたり野獣の惨殺や無力化した相手との戦い、ヘラクレスの姿で神話の場面を再現するなど常道を逸した行いを披露。国政は側近任せで趣味に国庫を使い込み、おかげで帝国の財政はひっ迫、汚職がはびこり元老院は激怒する。最後には専任の剣闘士になると発表し動揺した側近に暗殺されてしまう。そして愚帝の名を残すことになった。
この時代のローマ帝国では、皇帝や剣闘士の多くがローマ帝国外の出身となっていた。北アフリカで生まれた皇帝セプティミウス・セウェルスやシリア出身の妻、そして捕らえられシチリアに送られた伝説の剣闘士フラマもその一人である。彼は剣闘士養成所で仲間と深い絆を築き、34戦を戦い21勝を挙げた。30歳にしてその生涯を終えた彼の墓碑には、過酷な闘技の現実と仲間との強い結束を今に伝える文言が刻まれている。