1940年4月、Uボートのエース艦長ヘルベルト・シュルツェはノルウェー北部のナルヴィクへ向かうよう命令を受ける。戦略上の重要拠点である極北の港町ナルヴィクではドイツ軍が占領に成功しながらもイギリス海軍の奇襲で多大な損傷を受け孤立していた。イギリスはさらに戦艦を擁する艦隊を派遣。手負いの駆逐艦群とともに迎え撃つUボート部隊は狭いフィヨルド内で思わぬ苦戦を強いられ、さらには魚雷に謎の誤作動が相次ぐ。
Uボートがアメリカ沿岸で戦果を上げた第二次黄金期、オスカー・クッシュは優秀さを認められ、若くしてU154の艦長に就任する。前途は洋々と思われたが、ナチス政権に批判的な言動が先任士官と機関長の反目を招く。連合国が反撃に転じ、Uボートを取り巻く状況が厳しさを増していく中、2回の長距離哨戒中に士官たちとの対立が深刻化したクッシュは、ついに部下の告発で軍法会議にかけられ死刑を宣告される。
1944年春、ドイツの潜水艦U-66は長期哨戒で物資が枯渇。艦内では壊血病が蔓延し、燃料不足で帰港すらできない。補給用Uボートとの合流を計画するが、その情報を連合軍の対潜部隊ハンターキラークループに探知され、補給は失敗。辛くも窮地を脱するが追跡は続き、ついにバックレイ級護衛駆逐艦に発見される。激しい砲撃戦の末、体当たりされたU-66は敵艦に切り込み隊を送り、艦上で異例の白兵戦が展開される。
アメリカの潜水艦スキャンプは日本軍の飛行艇による爆雷攻撃で制御困難な状態に陥る。艦体が損傷し動力が停止。浮力が調整できず急降下と急浮上を経て再び沈み始める。一方、電気系統の火災で有毒ガスが発生し、復旧作業中の電気技師が相次いで倒れる。一刻も早く火元を突き止めて鎮火し、電力を回復して艦の制御を取り戻さなければ全員の命が危険にさらされる。絶体絶命の状況の中、乗組員たちの懸命の作業が続く。
1943年10月、アメリカの潜水艦シーホースは2回目の哨戒に出る。前回は艦長と副長の対立が深まり艦長が電撃解任され副長が後任に昇格という異例の事態となった。新艦長は前任者との対立で損なわれた部下の信頼を回復し、戦果を上げるため、適材適所で人材を登用し、乗組員の意見を尊重する一方、敵艦船に大胆な攻撃を仕掛けていく。新進気鋭の指揮官は艦内を1つにまとめ、危険な日本近海での哨戒を成功に導けるだろうか?
1945年2月、ジョン・ファイフ艦長率いるアメリカの潜水艦バットフィッシュはフィリピンから密かに要人や航空要員を避難させようとする日本の潜水艦を撃沈するよう命令を受ける。相手もまたステルス性に優れ、魚雷や艦砲で武装した同じ潜水艦だけに、気づかれずに追跡・接近し確実に仕留める任務は様々な困難やリスクを伴う。しかしファイフは戦略を駆使し、予想外の危機をも乗り越えて記録的な戦果を上げる。