1692年、マサチューセッツ湾植民地のセイラム村で、歴史上最も有名とされる魔女裁判が行われた。事件の発端は、牧師の家で2人の少女が苦痛を訴え、発作を起こしたことだった。苦痛症状は周りの子どもへと伝播。彼女たちの告発により、短期間に多くの人々が無実の罪で収監、処刑された。セイラム地域の複雑な歴史や名家同士の対立構造など、様々な要因がどのように絡み合い、この集団ヒステリーへと繋がったのか解き明かす。
なぜ魔女の多くは女性なのか。なぜ彼女たちは魔女として追われ、魔術の罪で裁判にかけられることとなったのか。そこには、数世紀に渡って魔女狩りを導くこととなる手引書「魔女に与える鉄槌」を記したハインリヒ・クラーマーの存在があった。初期に大規模な魔女裁判が行われたドイツでは、身分の低い農民からエリート層の裕福な市民に至るまで、社会階級を問わず様々な人が残酷な魔女狩りの餌食となっていく。
16世紀、スコットランド初の大規模な魔女裁判が行われた。夜中に何度も外出する使用人を怪しく思った主人が拷問の末に魔女であると自白させると、彼女はのちに魔女の集会に参加していた他の女性たちの名前も自白する。同様に容疑をかけられた女性たちは残酷な拷問の結果、国王殺害の容疑までかけられることに。イングランド王即位を狙っていたジェームズ6世は自身の命を狙ったとされる魔女の根絶にのめり込んでいく。
17世紀、イングランドでは国王と議会の対立から内戦が勃発。内戦による混乱は、法と秩序の崩壊と政治空白をもたらした。そのような状況下で自ら魔女狩り人を名乗りはじめたマシュー・ホプキンスとジョン・スターンは、イーストアングリア地方をまわりながら、魔女として告発された人々を尋問し、禁止されていた拷問にかけていた。冷酷無慈悲な魔女狩り人たちと、彼らによって死に追いやられた不運な犠牲者たちの真実に迫る。
ある子供たちのケンカをきっかけに、スウェーデンでは「大騒動」との異名がつく歴史的な魔女狩りが巻き起こる。魔女が悪魔と会う場所であるとされる「ブロクーラ」。魔女は子供たちをブロクーラへ連れ去り、一体何を行っていたのか。数千人とも言われる子供たちの証言がスウェーデンでの魔女狩りを加速させ、大勢の女性たちや子供たちの命が犠牲となる。
18世紀、アイルランドのアイランドマギーという小さな町で、ある女性が悪魔に憑依されて命を落とす。そこに訪ねてきた親戚の若い女性メアリー・ダンバーも同じく悪魔に憑依され、彼女は魔女と疑わしい人物の名前を次々と挙げていく。これをきっかけに平和だった町で魔女狩りの大騒動が巻き起こる。アイルランド史上最大規模と言われる魔女裁判が開かれ、悲劇的な結末を迎えることに。