ヒトラーは少年時代からドイツ民族主義者だった。ウィーンでは絵を売り暮らしていたがユダヤ人が多い街になじめずミュンヘンに行きドイツ軍に入隊する。第一次世界大戦での敗戦は軍上層部によりユダヤ人のせいとされ、国内で反ユダヤ主義が一層進むこととなる。その流れを感じ取ったヒトラーは愛国主義を駆り立てる演説で民衆の支持を集める。ミュンヘンでの蜂起は失敗したが、その裁判でヒトラーはドイツ全国で有名になった。
ヒトラーの主導したクーデターは失敗に終わり、反逆罪で有罪判決を受ける。5年の刑期を言い渡されるも、自叙伝「わが闘争」を執筆しつつ1年足らずで出所。ドイツを再び偉大な国家するというビジョンを抱いてミュンヘンに舞い戻る。 党の自警団「突撃隊」の巧妙な配置と自らのフットワークの良さで支持層は爆発的に拡大。ついに大統領選で1300万票を獲得し、国家のトップに君臨しようとするが、首相の座に収まることになる。
首相に就任後、ヒトラーは権力を徐々に強め、意見の異なる人物を排除するなどして独裁体制へと移行した。ナチスの政策により失業率が改善するなど国内での支持を獲得する。またオリンピック開催で国際社会にも安定したドイツをアピールした。しかし一つの事件によりユダヤ人に対する迫害が始まり、ついにヒトラーは反ユダヤ人主義を実行に移した。ヴェルサイユ条約を破棄し、ソ連と手を組み、戦争の準備を整える。
第一次世界大戦に負けたヒトラーは次なる戦争のチャンスをうかがいポーランドに目をつける。そこでソ連からの干渉を避けるため不可侵条約を結んだことでヨーロッパ中に緊張が走る。ドイツ軍将校らからは無謀だと目されていたフランス陥落を果たし、軍指揮官としてさらに恐れられるようになる。権力が頂点に達したヒトラーはソ連をも手に入れるべく、数千万のヨーロッパ系ユダヤ人の命を脅かす大量虐殺・征服戦争に乗り出す。
ドイツがソ連との戦いで壊滅的な損失を被る中、日本軍により真珠湾が攻撃され、ドイツもアメリカと開戦する。戦意を高めるためユダヤ人に支配されている世界に立ち向かうのだとヒトラーは主張し、ユダヤ人虐殺を開始する。直接的な命令はなかったとされるが、総統の意思としてユダヤ人は収容所へ送られた。ヒトラーに反対する者たちは暗殺を企むが失敗した。ドイツは敗戦へと向かっていくのだが方針を転換することはなかった。
第二次大戦の西部戦線においてドイツはベルギーを攻撃、しかしアメリカから返り討ちに遭う。ここで東部戦線の兵を手薄にしていたことでソ連からも反撃され、いよいよヒトラーは窮地に追い詰められていく。1945年1月にベルリンに退却し、以前から造らせていた総統地下壕に恋人や側近らと潜伏、戦争の最後の数週間を過ごす。誕生日直後の会合が最後の公の姿となった。帝国の崩壊、絶望と裏切りを経験し、自ら命を絶つ。