世界大戦中、連合国イギリスを脅かしたドイツ軍の潜水艦Uボートは、多くの船を撃沈し、猛威を振るっていた。しかしその中には大いに成果を上げながらも、攻撃され沈没したものもある。シリー諸島沖で消息を絶ったUC66、アイリッシュ海で巡視船に破壊されたU87、機雷によって爆破されたU480。無敵とうたわれたUボートが、なぜ今、海の底で眠っているのか。海に沈む残骸を調査し、その謎を解き明かしていく。
貨物船エル・ファロ号は、ハリケーンの接近に関わらず船長の独断と、海上でのエンジンの故障などが原因で沈没した。豪華客船エンプレス・オブ・アイルランド号は霧の中で貨物船ストールスタッド号と出会った。ストールスタッド号が方向転換を誤り、エンプレス・オブ・アイルランド号に激突。衝突から沈没まで14分しかなく、乗客の大半は救命ボートに乗る時間がなかった。最新技術を備えた船舶でも、海上では何があるか分からない。
世界大戦時、海で戦い続ける戦艦は、さまざまな兵器を備え、頑丈な装甲帯で守られ、ますます巨大化していき、海上では敵なしに思えた。しかし最強といわれた戦艦も、今は海の底で眠っている。この海の怪物を滅ぼしたのは、意外にも小さな攻撃機だった。魚雷を搭載できるよう進化した攻撃機に狙われ、巨大戦艦はなす術もなく、何千人という水兵とともに海に沈んでいくしかなかった。こうして戦艦の時代は終わりを告げた。
戦後アメリカが行ったビキニ環礁での原爆実験は深刻な放射能汚染を招き、環礁の住民たちは故郷に帰れなくなった。また、実験台となった日本の軍艦「酒匂」、「長門」やドイツのプリンツ・オイゲンは沈没したが、本当に恐ろしいのは船体の損傷よりも、船内の放射能汚染だった。東西冷戦の時代になり原子力潜水艦が開発されるが、悲惨な事故が起きるなど、決して完璧な兵器ではない。核兵器の登場は、戦争の手段を大きく変化させた。
バルト海に沈む大型船ヴィルヘルム・グストロフ号。ドイツの豪華客船として作られたこの船は、第二次世界大戦中にドイツ兵の撤退を担うことに。しかしドイツ軍の攻撃に苦しめられたソビエト軍の復讐の的となり、攻撃され沈没。一方、日本軍の拠点があった太平洋のトラック環礁には、真珠湾攻撃の報復に燃えていたアメリカ軍の大規模な攻撃により、日本の商船や貨物船が40隻以上も沈んでいる。
16世紀、スペインの無敵艦隊はイングランドへ侵攻する。当初は有利だと思われたが、地中海で活躍していたスペインの軍艦は北大西洋での航海に慣れていなかった。イングランド侵略は果たせず、荒海や暴風雨に翻弄され、無敵艦隊は壊滅状態となった。第一次世界大戦中、イギリスはトルコのダーダネルス海峡へ侵攻する。オスマン・トルコを後進国だと侮っていたイギリスは、彼らの猛攻を受け、多くの軍艦を沈められて撤退する。
1919年、第一次世界大戦に敗北したドイツの軍艦50隻以上が、スコットランド北部、オークニー諸島の港スカパ・フローに拘留され、その後、自沈した。現在7隻の軍艦が海底に沈んでいるが、残りの船はほとんど地元の廃材回収会社に引き上げられた。今回の調査では新しい技術を使い、7隻の沈没船を詳細に調べるだけでなく、まだ解明されていない、引き上げられた軍艦の痕跡を探し、その謎を解明していく。
第二次大戦中、客船クイーン・メリーの護衛艦キュラソーは、クイーン・メリーとの衝突で沈没した。両船の船長が、「相手が道を譲るだろう」と予想していたためであった。19世紀、蒸気船オレゴンはどこかの帆船と衝突して沈んだ。また、客船シティ・オブ・チェスターは、流れが急で霧の濃い海域で客船オセアニックと衝突して沈んだ。たとえ科学が進んでも、航海には常に新しい教訓があると心得なければならない。
スウェーデンの海に眠る大きな船、スケットレン号。第二次世界大戦中にドイツの攻撃を受け自沈し、現在170トン以上のオイルを積んだまま、海底に沈んでいる。船は劣化しオイルが漏れ出すのも時間の問題だ。その5キロ先には戦後、連合国が余った弾薬を海に投棄した場所もある。またイギリスのテムズ川の河口には、リチャード・モンゴメリー号が1500トンの爆弾を積んだまま沈んでおり、常に爆発の危険をはらんでいる。
スコットランドの海には多数の沈没船が眠る。1916年、英国軍の要人キッチナー元帥を乗せた巡洋艦ハンプシャーは、ドイツ軍の機雷により沈没した。当時キッチナーの遺体が見つからなかったことや、機雷の数など多くの謎があった。1917年には英国の戦艦ヴァンガードが、弾薬庫の火災で沈没した。爆発しやすい火薬が、高温の環境に置かれていたことが原因となった。船だけでなく、犠牲者となった乗組員についても近年調査が進んでいる。