第二次世界大戦が始まって間もなく、ドイツ軍U-47の艦長ギュンター・プリーンは、哨戒任務中、司令部に突如 呼び戻される。彼を待っていたのはイギリス海軍の拠点スカパ・フローに潜入して敵艦を奇襲する極秘ミッションだった。プリーン率いるU-47は、激しい潮流に逆らい、閉塞船をかわして、港への侵入に成功する。しかし任務遂行後、敵国の軍港から無事に脱出できる保証はなかった。
1939年9月。ドイツ軍Uボート艦長フリッツ・ユリウス・レンプは、ヒトラーの命令に反して定期客船アセニア号を撃沈させたことにより、母国と自身の立場を危うくさせる。それでも華々しい戦果をあげ続け、昇級まで果たしたレンプだったが、イギリス軍の船団護衛部隊との戦いに敗れ、Uボートから脱出する。しかし、その中にはドイツ軍最大の機密事項である暗号機エニグマがあった。
第二次世界大戦の終盤、遠く離れた同盟国のドイツと日本は物資や技術情報の交換に苦戦していた。当初は船を使用していたが、海上輸送では連合国軍に見つかり、攻撃にさらされてしまう。そのため、潜水艦による輸送作戦が練られた。1944年5月、ドイツ軍の潜水艦U-862は大量の物資を積んでマレーシアのペナン島へ向けて出港。北海から北大西洋を南下、アフリカ大陸南端を回り、インド洋へ抜ける壮大な長距離輸送作戦が始まった。
1944年年7月。フィリピンの北に位置するルソン海峡でアメリカ海軍潜水艦隊が「群狼作戦」を展開。日本軍の補給路を断つべく一匹狼の艦長達が結集し、アメリカ海軍史に残る大激戦を繰り広げる。血気盛んなローソン・ラメージ艦長は、敵の猛攻を受ける中、戦線を離脱することなく水上での魚雷装填を乗組員に指示。日本軍の護送船団に雷撃を仕掛ける。しかし、標的に集中するあまり、迫りくる危機に気が付いていなかった。
1943年2月、ハワード・ギルモア艦長率いるアメリカの潜水艦グロウラーは南太平洋で哨戒を行っていた。ある日の深夜、暗がりから突然現れた日本の特務艦「早埼」と衝突してしまう。早埼は機銃掃射を開始。グロウラーの艦橋にいたギルモアは銃撃で重傷を負い、艦内に戻れなくなってしまった。このままでは船体に無数の穴が開き、グロウラーは潜航不能になってしまう。ギルモアは覚悟を決めて、艦内の部下に命令した。「潜航せよ!」。
第二次世界大戦中、連合国軍と日本軍が激戦を繰り広げる小笠原諸島海域で、アメリカ海軍の潜水艦は墜落された連合国軍パイロットの人命救助を担っていた。「一人も見捨てることなく、全員帰還させるためにあらゆる手を尽くす」というアメリカ軍の理念のもと、潜水艦員たちは自らの危険を顧みることなく、砲弾が飛び交う海域へ侵入し、多くのパイロットを救助する。その中には、未来のアメリカ合衆国大統領も含まれていた。