1945年夏。第二次世界大戦は深い傷痕を残した。平和が訪れるかに見えたが、世界ではさらなる対立関係が生じていた。アメリカとイギリスはソ連を警戒。中でも共産主義が広がったインドシナでは、非常に⾧い紛争が繰り広げられる。フランスからの独立を訴えてホー・チ・ミンが立ち上がったのだ。また、地域紛争は西側諸国と共産主義の戦いでもあった。アメリカは核爆弾をテスト済み。人類に新たな黙示録の脅威が迫っている。
1947年、第二次世界大戦で疲弊したヨーロッパの復興を目指し、アメリカがマーシャル・プランを発表。これに反発を強めたソ連はベルリンの交通網を封鎖。アメリカは空輸によってベルリンに物資を届ける。インドシナ半島では、ホー・チ・ミンとフランス軍が一進一退の攻防を続ける。中国では共産党の毛沢東が政権を奪い、中華人民共和国を建国。また、朝鮮半島では北朝鮮が韓国を攻撃し朝鮮戦争が勃発。東西の緊張が高まっていく。
1950年9月、朝鮮では追い詰められる国連軍を救うべく、マッカーサーが仁川上陸作戦を決行。作戦は成功を収めるも、中国が参戦し国連軍は大敗する。原爆で状況の打開を図ろうとした司令官のマッカーサーは、大統領トルーマンに解任される。一方ベトナムでもベトミン軍とフランスの戦いは続く。フランスは切り札として名将ド・ラトルを派遣。2つの戦争の後ろには、ソ連の影があった。果たしてスターリンは世界を制するのか?
1953年、スターリンが死去。これを機にアジアの紛争は終焉に向かう。朝鮮戦争では休戦協定が結ばれ、多くの米軍が去った。一方インドシナでは、ベトミン軍がディエンビエンフーで大きな勝利を収める。10年近く続いた戦争は、ジュネーブ協定の調印により休戦が実現。フランス軍はベトナムを去る。しかし南北のベトナムは、のちに再統一の選挙を行うこととされ、分断されたまま。ホー・チ・ミンの再統一への戦いは続く。
1956年2月、共産党の第20回大会で、フルシチョフはスターリンを痛烈に批判し、世界を驚かせた。緊張緩和路線を取りアメリカと接近するが、軟化したわけではなかった。ハンガリー動乱を武力で鎮圧、ベルリンには東西を隔てる巨大な壁を建設した。ケネディ政権と対立し、キューバに核ミサイルを配備したことで、一触即発の危機を迎える。アジアでは米ソがそれぞれ南北のベトナムを支援。ベトナム戦争が始まろうとしていた。
1963年11月、大統領ケネディが暗殺される。後任となったジョンソンは、ベトナムに派遣する兵を大幅に増員する。しかし戦地の様子がテレビで放送されるようになると、多くの国民が胸を痛め、反戦運動が活発化。アメリカはベトナム撤退を余儀なくされる。一方ソ連は多方面にわたる紛争への介入で経済が破綻。また東欧の独立運動も過熱していた。1989年、ベルリンの壁が崩壊し、次いでソ連は解体。冷戦は終結を迎える。