モーガン・フリーマンが様々な信仰における悪魔について調査する旅に出る。ジュデアン砂漠を旅したキリスト教の修道士からネパールの僧侶まで、悪魔との対峙の仕方を学び、それぞれの悪魔という存在が担う役割について学んでいく。悪魔は成敗すべき敵なのか、それとも自制によって抑えるべき心の中にあるのか。あるいは改心させれば共存も可能なのか。宗教ごとの悪魔の意味を理解し、その違いと共通点を探る。
モーガン・フリーマンが様々なものに宿る神について調査する旅に出ます。イエスを神としたのはいつからなのか、ネパールに今も存在する、生きた女神クマリはどんな生活を送っているのか。さらに"いばらの冠"はイエスが処刑の際に身につけていたものとして、神を近くに感じられると、今も多くの人が集まります。人々が神を宿したものを通して、神の存在を確かなものにしていく姿を追います。
モーガン・フリーマンが神の啓示について調査する旅に出ます。啓示を受けて病気を治した人、脳外科手術を経て啓示を受け世界に対する考え方が変わった人。さらには啓示により何千もの子供の命を救った人まで、それぞれを訪ね、啓示を受けるに至った経緯などについて聞きます。信じ深さは関係しているのか、あるいは科学的に証明できることはあるのかなど、様々な視点から神の啓示に迫り、その意味について考えます。
モーガン・フリーマンが罪について調査する旅に出ます。人間がどのようにして罪と闘ってきたのか、宗教による違いを元にひも解いていきます。聖母マリアの啓示を受けむち打ちを市民に広めた人物の話や、死人の罪を食べて呪いを避ける罪食い人の話。さらには"目には目を"と十戒の"殺してはならない"の板挟みに苦しんだ死刑執行人まで。宗教によっても罪の定義が違う中、現代の人類に求められるものは何なのかを探ります。
モーガン・フリーマンが戒律について調査する旅に出ます。ユダヤ教やキリスト教には十戒、イスラム教にはコーランというように、それぞれの宗教には神の規律、すなわち戒律が存在します。イスラム教の戒律に従い、息子を殺した犯人を許した男性や、殺さないことを戒律に掲げた、ネパールに根付くジャイナ教を訪ねます。科学が発展する現代社会において、こうした戒律は本当に必要なのかを探ります。
モーガン・フリーマンが宗教に隠された秘密や信仰の神秘について調査する旅に出ます。ワインと性を利用したディオニュソス信仰の謎を解くある壁画を訪ね、秘密の儀式の裏側を探ります。ネパールのカトマンズでは、密教の僧侶たちが、悟りへと導くべくマントラを唱えます。信者たちは一生をかけて真理を探究することで、悟りの貴重さを思い知るのだといいます。信仰に欠かせない聖なる秘密に迫ります。