様々な危機に直面した米潜水艦シルバーサイズ。日本軍のガダルカナル島への救援を断つべく向かった先で、乗組員の1人が虫垂炎を発症。日本軍の支配海域に潜ったまま、緊急手術が始まる。さらに彼らを襲う日本軍の爆雷攻撃。潜水艦は多くの損傷を負った。そして潜水艦が次に見つけたのは、発射したはずの1発の魚雷だった。魚雷を無事に発射し、彼らは無事に任務を終えられるのか。幾多の危機を乗り越えた奮闘の日々を追う。
1945年6月。第二次世界大戦も終盤を迎えたこの時期、アメリカ海軍の名誉勲章受章者であるユージーン・フラッキーは、艦長として潜水艦バーブに乗り込み、日本の東海岸北方海域に侵攻。奇襲攻撃や沿岸部施設などへの攻撃で輝かしい戦果を上げる。それに加えて、当時、日本の領土であった南樺太を通る列車を爆破するべく、潜水艦としては前例のない上陸作戦を決行。大胆なこの試みは、果たして成功するのだろうか?
1944年1月。Uボートのエース艦長ヴェルナー・ヘンケが率いるU-515は、連合国軍の水中爆雷攻撃や空襲によって艦体を大きく損壊しながらも、何とか自軍の港まで帰還した。そしてその10週間後、U-515の部隊は哨戒任務を再開。ガーナ湾へと向かう途中、連合国軍のダニエル・ギャラリーが率いる対潜機動部隊に遭遇する。攻撃に出るギャラリーと潜航するヘンケ、両者の軌跡を専門家の解説と再現映像でお届けする。
1941年の春、北アフリカではエルヴィン・ロンメル率いるドイツ・アフリカ軍団が攻勢をかけていた。このままエジプトへの侵入を許し、スエズ運河を押さえられてしまえば、連合国は大打撃を被る。イギリス軍は状況を打開するため、アプホルダーを初めとする潜水艦隊を地中海に出撃。北アフリカへ向かうイタリアの輸送船を沈めて、物資と兵員の補給路を断ち、ロンメル軍団を弱体化させようというのだ。作戦は成功するのか?
第二次世界大戦末期、ドイツは日本に軍事機密情報と兵器の材料を届けるカエサル作戦を画策。日本で新兵器を大量生産し、枢軸国側に再び勢いを取り戻そうともくろんだ。輸送の役割を担ったUボートは大量の水銀を積んで日本へと向かう。しかし、この極秘作戦は連合国側に知られてしまっていた。1945年2月、ノルウェーの沖合でイギリスの潜水艦ヴェンチャラーがUボートを発見。史上初の潜水艦同士による水中戦が幕を開けた。
冷戦時の1962年10月、極秘任務を命じられた4隻のソ連潜水艦が核魚雷を搭載し、キューバへと向かう。しかしキューバでのソ連ミサイル基地建設が明らかになり、アメリカは周辺海域で隔離措置を実施。ソ連潜水艦B-59の艦長は、アメリカの演習用の爆雷を攻撃と思い込み、事態は一気に緊張する。あわや核戦争勃発の危機に際し、当事者たちが取った行動とは?専門家の解説と共にキューバ危機の真相に迫る。