1944年6月6日、連合国軍がノルマンディー上陸作戦を決行し、数多くの兵士がノルマンディーの海岸に上陸する中、ヒトラーはダス・ライヒの出動を命ずる。ドイツ軍の装甲師団ダス・ライヒは、ウクライナやベラルーシで大量虐殺を行った悪名高いエリート部隊で、当時はフランス南西部に作戦拠点を置いていた。彼らの任務は連合国軍を大西洋に追い返し、戦局をドイツ側に好転させること。しかしノルマンディーへの道のりは険しく、ダス・ライヒはフランスのレジスタンスに妨害されてしまう。その報復として、最悪なことにダス・ライヒはフランス市民を虐殺するのだった。
1944年6月、ダス・ライヒはノルマンディーへ向かった。ヒトラーに忠誠を誓った装甲師団は、フランスの村という村で残忍な殺りくを行う。東部戦線でも残虐行為を行っていたダス・ライヒにとって、これは常とう手段だった。フランス各地へ進軍する途中、ダス・ライヒは無残にも無実の市民たちを町ごと虐殺していく。一方でフランスのレジスタンスもあきらめずに抵抗を続け、諜報員のビオレット・サボなどが反撃作戦を企てた。連合国軍によって次々と撃破されたダス・ライヒは、昔の面影もないほどに縮小していく。第二次世界大戦が終結すると、彼らの残虐行為に対する戦争裁判が始まった。