2005年8月2日。エールフランス358便が、トロント・ピアソン空港の滑走路をオーバーラン。その際に左のエンジンが炎上し、300人以上の乗員乗客は、命からがら脱出した。幸いにも犠牲者は出なかった。この前年だけで世界では37件ものオーバーランが発生しており、100人以上が犠牲になっている。これは、航空機の飛行法に大きな課題を残した、驚くべき恐怖と生還の物語である。
1982年6月24日。ブリティッシュ・エアウェイズ009便に、不測の事態が起こった。客室に煙が充満し始める。両方のエンジンには火が回り、止まってしまった。そんな中、クルーはまぶしい火花のようなものが雨のように降ってきて、ウインドシールドに当たるのを目撃した。飛行機は落下を始めたが、海に落ちる直前に止まっていたエンジンが再始動し、なんとか無事空港に着陸。機を墜落の危機に追いやったものの正体とは?
トロントからダラスへのフライト中、ある乗客が後方化粧室から煙が上がっていることに気付いた。煙はどんどん濃くなる。こうなっては着陸するしかない。機はシンシナティーの空港に着陸し、乗員乗客は火の手が上がる飛行機から緊急脱出したが、46人中23人が犠牲となった。国家運輸安全委員会による調査の結果、このDC-9型機では過去にも問題が多発していたことがわかった。しかし出火の原因は今も謎のままである。
1997年。大韓航空801便は、悪天候の中乱気流に巻き込まれた。降りしきる雨や、使用不能に陥ったナビゲーション装置と格闘するクルー。しかし高度はどんどん下がり、801便は空港の5キロメートル手前にある丘に墜落した。その時点での生存者は多かったが火災が発生し、結局200人以上が犠牲になった。この事故は、重要な安全装置が使用不能になっていたことと、クルーの技術不足が原因とされている。
世界の航空業界を支えるボーイング737型機。しかし1991年、着陸直前に操縦不能に陥り墜落、乗員乗客が全員死亡する事故が起こった。事故原因は謎である。1994年。別の737型機が墜落。乗員乗客132人が全員死亡した。前回と同じく事故原因は不明。さらに別の737型機が、最終直前、2度にわたり機体が激しく右に傾くという事態に見舞われた。証言から判明した驚愕の事実とは一体?
高度1万2500メートルでの飛行中、乱気流に巻き込まれたチャイナ エアライン機。自動操縦システムが加減速を繰り返して事態を乗り切ろうとしていたが、エンジンのうち1つが止まっている。長いシフトで疲れていたクルーがエンジンの再始動を試みていたその時、機体は9000メートル近く急降下、激しく損傷した。なんとか着陸を遂げたクルーを、乗客は命の恩人だと賞賛した。彼らがすべての元凶だったとは知る由もなく…。
ロサンゼルス国際空港に着陸する寸前、エアロメヒコ498便は小型機と衝突した。犠牲となったのはエアロメヒコ機に搭乗していた64人全員と、小型機に載っていた3人、そして地上にいた15人。航空交通管制が小型機に気付かなかったのは、当時は管制の空域を飛ぶ航空機へのトランスポンダー搭載が義務付けられていなかったためである。この事故により、空港のあり方と、その付近を飛ぶ機体の監視、追跡方法が改善された。
1993年、アメリカの商務省長官ロン・ブラウン他34名を乗せた航空機がクロアチアで墜落し、搭乗者全員が死亡した。紛争地域で起きた墜落の原因は何だろうか?長官が本来なら飛べないはずの天候の中、パイロットにフライトを強要したのだろうか?アメリカ軍が作成した報告書により、指示の不行き届き、クルーのミス、そして航空機の着陸方法の不備などが事故原因だということが判明する。
2004年。エジプトの空港から飛び立ったボーイング737型機は、離陸直後、右に傾き始めた。いったん傾きを修正したものの、再度機体は傾き、ついには111度にまでなってしまう。パイロットはこの傾きを必死に修正し、ほぼ水平まで戻したが、機は紅海に墜落、乗員乗客は全員死亡した。事故を起こしたフラッシュエアラインは、複数の国で着陸許可を取り消された経緯を持つ。事故原因は人的ミスか?それとも機械のトラブルか?
2005年8月14日、日曜日。キプロスのラナルカ国際空港。低コストを売りとする航空会社、ヘリオス航空の522便は午前9時にギリシャの首都、アテネを経由し、チェコ共和国のプラハに向かうべく離陸する予定だった。午前9時11分、機体が高度3600メートルを超えた頃、コックピットに警告ブザーの音が響いた。