ローマ帝国でキリスト教が台頭していく過程をマイケル・スコット博士が徹底調査する。はりつけという非常に残忍な方法で処刑されたイエス。その死に様から、彼は敗者であり否定された存在とみなされるはずだった。しかし実際、十字架上の死はキリスト教において決定的な瞬間となり、彼は救世主となったのだ。キリスト教の拡大に伴い、ローマ帝国による迫害が強まっていく過程や、ユダヤ教から決別していく経緯を明らかにする。
キリスト教信者がユダヤ教徒のために犠牲を払うことを拒否したため、ローマの権力者たちの非難が強まる。だがローマ人はキリスト教徒の処刑には消極的だった。ところがカルタゴの競技場で起きた反抗的行動により、殉教者ペルペトゥアは自分の喉に刃をあて、死刑執行人をほう助する。ローマ帝国はキリスト教を完全に根絶しようとするが、逆に政治的で宗教的な勢力が強まり、結果的にキリスト教の発展につながっていく。
約3世紀が経ち、キリスト教徒は依然として迫害に耐えていた。ディオクレティアヌス帝の大迫害後、各階級が力を結集。それが教会の始まりとなる。そして時の皇帝コンスタンティヌスは、キリスト教に改宗。首都をローマからコンスタンティノープルに移し、キリスト教を正式に認めた。その後、教会と国家の結びつきはますます強まり、381年にテオドシウス帝が異教信仰を違法とし、ついにキリスト教が唯一の国教となるのだった。