Q.   『生きもの地球大紀行』制作チームは地球上の大型哺乳類の中でも最大と言われるヌーの大移動で、数々の素晴らしい映像を捉えています。このヌーの大移動においてチームが驚かされた事は何ですか?
A.   彼らの大移動は地球上で最も大きく象徴的な大移動で、100万頭以上もの動物が毎年雨季の後に行進するのです。彼らはその途中でいくつかの川を渡ります。彼らは以前これらの川を渡った経験があるのですが、興味深かったのは行進における決定を誰が行っているかという事です。なんと、群れを率いて子供達を導いていたのは雄ではなく雌であり、シマウマたちもそれに付いていくのです。私たちの予想通り川ではワニが待ち構えており、なんといってもその大きさに驚きました。

全てのヌーが生きて川を渡り切れるわけではない事を私たちは知っていました。数々のドラマチックな場面を撮影しましたが、最もつらかったのは、ヌーの母子が無事に川を渡りきる最後の一瞬でワニが現れ、赤ちゃんを水の中へと引き込む場面を目の当たりにした時です。クルー全員がそれを初めて目撃した時は胸の裂ける思いをしたし、それをまたテレビで見る事は同じくらいつらい事です。しかし、それは彼らがただ生命の存続のみを求めた大移動の中で直面する危険を、力強く映し出しています。 

他の地域では雨によってヌーたちが160キロも後退してしまうなどのタイミング上の問題もありましたが、私たちはこの生命のサイクル全体を、かつてほとんど無かったことかと思いますが、ひとつのシーズンで撮りきる事が出来ました。ヌーの大移動は象徴的であり、彼らなしでは大移動を語る事は出来ません。私たちは高性能カメラや最先端のヘリコプター用カメラマウント、そして最新のHDスローモーションカメラを使用して、今までと違った撮影に挑戦しました。
Q.   スーダンでのシロミミコーブの大移動の撮影は最も危険でした。この部分にはどういった事が込められていますか?
A.   何十年にも及ぶ内戦を行っていたスーダンにおもむくのはとてもリスクの高い事でした。スーダンへの進入は20年以上も制限されていたため、科学者や研究者たちにはシロミミコーブがまだ存在しているのかさえ分かっていませんでした。この動物が最後に撮影されたのは1982年の事なのです。ナショナル ジオグラフィックが野生生物保護協会の仲間たちと協力してくれたおかげで私たちは南スーダンに入り、撮影をする事が出来ました。その旅は壮絶なものとなりました。クルーはどことも分からない様な、そしてAK-47を振りかざす元兵士たちが住む地雷地帯を、1970年式の古いトラックで何日も走り続けました。私はクルーたちが撮影にかけた努力や信頼を誇りに思っています。

空っぽの平原を見る事になるかと思いきや、推定100万頭にもなるコーブを発見しました。その群れの規模や大移動範囲という点ではコーブの大移動はヌーのものと同程度です。科学的発見や、大移動の要因といった点で、私たちはとても良い時期に撮影する事が出来ました。乾季の大移動では全ての雄が集まり激しい戦いの舞台をくりひろげ、雌の気を引くために戦います。中にはお互いを殺すまで戦い続ける事もあります。一年の他の時期はそれほど巨大な群れは作らずに拡散しています。

コーブは驚くほど敏感なので撮影には苦労しましたが、彼らをフィルムに収める事で、大移動パターンや、ひいてはこの地域全体における将来的な研究に貢献出来たのは素晴らしい事です。
Q.   マリのゾウの大移動はとてもドラマチックですが、撮影する上でのクルーの苦労や、注意した点は何ですか?
A.   マリのゾウが撮影されるのはまれです。象牙を手に入れるため、かつて長年に渡り狩猟が行われていた背景があり、彼らはとても警戒心が強いので、これだけ接近して撮影を行う事はチームにとって非常に大きな挑戦でした。

私たちはゾウに気づかれない様にするため細心の注意を払わなくてはいけませんでした。そのため、日常的に摂氏48度にもなるマリの暑さの中、制作チームはシャンプーやローション、石鹸、そして洗剤で洗った服を使う事が出来ませんでした。また、彼らに気づかれない様にするためには常に風下に立っていなければいけませんでした。 

カメラマンのボブ・プールは、ゾウの撮影や行動を読む高いスキルを持っています。彼は常に風下に立つ事を念頭におき、毎日群れの中へと向かいました。というのも、そうしないと彼の匂いにゾウが気づいてしまい、登る木もなければ逃げる車も遠い所にある状態で攻撃されてしまう危険があるからです。しかし彼は見事に撮影を成し遂げ、砂漠のゾウの映像としては今までで最高のものを生み出したと私は思います。
Q.   ミシシッピ沿いでのハヤブサやその他の鳥たちの大移動を撮影するために、クルーがどこまで踏み込んだのかについて少しお話いただけますか?
A.   ミシシッピ川には、北アメリカ大陸でも最大級の数の渡り鳥が存在し、私たちはこれを2年間に渡り追い続けました。大移動は冬から春へと季節が変わる頃に始まり、何千、何万という鮮やかな色をしたアヒル、ガチョウ、ペリカンやハクチョウ、そして様々な猛禽類が存続と安住を求めてこのルートを南北へ旅立ちます。

私たちはこの地域でハヤブサの素晴らしい映像を撮影しました。川の上にそびえる崖高くに羽を下ろし、スズメ目の鳥たちがそのエリアを通り過ぎる時をひたすら待ちます。ここでは、雌ハヤブサがスズメ目の渡り鳥を子供に与えるために巣に持ち帰って来る映像を撮る事が出来ました。

この映像を撮るため、カメラマンのニール・レッティグは2週間に渡り、毎日12時間を120メートルもある崖の陰に半分ぶら下がったままの状態で過ごしました。彼は朝のうちに崖を登り、ハヤブサたちを脅かす事なく鮮明な映像を撮るために12時間もじっと動かず、夜になるとロープを使って崖を降りました。野生のハヤブサの巣を撮影するためにここまでやった人間は、私の知る限りではいません。
Q.   ではもうひとつ別の飛行生物、カゲロウの大移動についてですが。雷雨などの単純な障害でさえその生態系のバランスを乱してしまうのは何故なのでしょうか?
A.   カゲロウは一種の垂直的な移動を行います。まずはミシシッピの河床で生まれ、水中を上昇し、植物や木に登り、そして脱皮を行い、それから飛び立ち、何百万単位で群れます。鳥たちの格好のごちそうとなるこれらの昆虫の群れのひとつを撮影しようと探していると、おもしろい事が起こりました。気象サービスから撮影クルーに電話があり、そのエリアに雷雨があると警告してきました。実際それは雷雨ではなく、雲のごとく集まるカゲロウの群れだったんです!私たちはその暗がりの中へ向かい、驚くべきものを撮影しました。その集合を撮影している間に、カメラチームの乗っていたボートは重さ270キロ以上ものカゲロウたちの死骸でいっぱいになっていたのです。
Q.   ハイテクやHDでのカメラワークの他に、制作においてテクノロジーの果たした役割にはどの様なものがありますか?
A.   GPSはまさに救いでした。撮影を行った多くの場所には道路や道がなく、旅のコースを計画するのはかなり大変でした。カメラが未だ踏み込んだ事のない場所にも行きました。グローバル・ポジショニングを使って現在位置を記し、全く同じ位置に戻って来られる事は本当に大きな助けでした。おかげで、車高よりも高く伸びるアフリカの芝生地帯を抜けたり、軍隊アリの巣を探し出して追跡したりという、森くらいの大きさの干草の山の中から動く針を見つける様な作業も可能になりました。

しかし、テクノロジーが私たちの手助けになったのと同じくらい、クルーの直感や専門知識は重要なものです。直感的にゾウの行動を感じ取ったり、曇り空で風の強い日の外洋で、白波の中でクジラが潮を吹くのをかなり遠方から見つけ出したりといった事は、長年の経験がなければ出来ない事です。

そして、ローテクでの努力も必要となりました。例えば海に出た時、クジラたちはほぼ無音の小型ボートのエンジン音にですらとても敏感でした。そのため、私たちは変わりに空気注入式の人力カヤックを使用したのです。
Q.   大移動では数多くの生と死のドラマがありますが、クルーにとって特に心を打たれる瞬間というのはありましたか?
A.   私たちは非常に困難でドラマチックなシマウマの大移動を撮影しました。ボツワナの塩田は熱と埃と塩で本当に過酷な場所でした。撮影が非常に困難な場所にも関わらず、世界最高のフィルムメイカーであるデレクとビバリー・ジョウバートの2人は、大きな情熱を持ってこの灼熱地獄へと飛び込んで行きました。   

撮影した中で、特に胸を打たれる場面があります。あまりの暑さに、子馬を残したまま母馬が死んでしまいます。残された子馬は無力で行き先も分かりません。しかし驚いたことに、通常は子馬を見捨てるはずの家族集団の雄馬が、自らのハーレムが移動を開始した後も残ったのです。確信は持てませんが、その雄馬は子馬を救うため、親として面倒をみてやるから自分についてきなさいと言わんばかりに、そこに残る事を選んだかの様に見えました。彼は、雄馬が自然とハーレムを集めるのと同様に子馬をただ連れて行く事も出来たかもしれないのにです。そして最終的にはハゲワシやジャッカルに喰われる母馬を残し、子馬は雄馬について行きました。とても深く、感動的な場面で、【生存への競争】というタイトルの礎となっています。

オオカバマダラのセクション担当プロデューサーは、その蝶たちの大移動の撮影でのとても感情的な経験を自身のブログで公開しています。彼女にとって空を飛ぶことは最大の恐怖でしたが、その蝶を撮影するには小型モーターを搭載したパラグライダーにパイロットとの2人乗りが必須条件でした。しかし、オオカバマダラたちと共に宙を舞い、ハイスピード・スローモーションでその羽ばたきひとつひとつを撮影する体験があまりに圧倒的かつ爽快で、嬉しさから涙を流したと書いています。
Q.   『生きもの地球大紀行』は単に息を飲むような映像を集めただけのものではなく、動物たちの大移動に対する深い見識や、また新たに発見された行動などもあります。科学者たちが研究をより深める上で役立っている映像はどれですか?
A.   マリでは最大規模のゾウの群れがゾウのものとしては最長となる大移動を行うところを撮影し、その映像量と時間から研究、観察、そして学習する事が出来ました。 

また、クリスマス島ではアカガニの大移動における今までで最も包括的な映像を撮れたと思っていますし、さらに私たちはスーダンにおいて、過去30年間で初めてのコーブの撮影に成功しました。  

【大移動の科学】では今まで行われた事のない、科学者たちによる蝶へのラジオ・トランズミッターの取り付けが記録されています。

また、私たちはボツワナのシマウマ、マリのゾウ、クリスマス島のアカガニ、オーストラリアのオオコウモリ、コスタリカの軍隊アリ、そして太平洋のホホジロザメなどの大移動における最も踏み込んだ調査を撮影したと確信しています。

そして、私たちが捉えたホホジロザメがゾウアザラシを捕食する詳細映像は今までになかったものであり、本当に驚くべき内容です。
Q.   これらの大移動を空中撮影した映像も壮観ですが、水中ではアカガニが産卵し、それらの卵が孵る場面を撮った素晴らしい写真があります。その撮影がどの様なものだったかお話いただけますか?
A.   アカガニは、オーストラリアとインドネシアの間に位置するクリスマス島で撮影しました。毎年モンスーンがやって来ると、5000万近いカニの大群が森から海へと行進します。それは本当に信じがたい光景で、私のお気に入りのひとつです。実を言うと、これだけは自分の目で見たいと思っていた、絶対に逃せない大移動でした。私たちが撮影を行った年は大移動の引き金となる降雨が過去に比べて少なく、カニたちは移動中に苦しんでいました。ひらけた土地では太陽光と熱によって彼らの肺が乾きあがってしまい、死に至ります。アカガニにとって、雨のしずく一滴は新鮮な空気を吸い込むのと同じ事です。彼らが水辺にたどり着くまでの、もうひとつの大敵はアシナガキアリです。この侵略性の高いアリは蟻酸をカニの目めがけて放ち盲目にする事で行動の自由を奪い、動けなくなったカニは太陽に照らされて死んでしまいます。

浜辺には雄が先に到着して雌のために穴を掘り、1週間後に雌が到着すると穴に潜って最大10万個の卵をその腹に抱えます。そして奇跡が起こります。雌ガニたちは地中に埋まっているにも関わらず、月が最も欠けている時、つまり最も波が穏やかな時を不思議にも感知して地中から現れると、頭から水際へと向かい、水中へと卵を放つのです。普段は青い海水も、あまりの卵の数で黒く染まります。

卵は通常あらゆるところに散らばり、大抵の場合は魚に食べられたり嵐によって散り散りになってしまいます。しかし数年に一度、運が良い場合に、卵は海岸へと戻って来る事が出来るのです。   

私たちは本当に運が良かったし、万全の準備もしていました。卵が孵り、とても小さなエビの様な姿をしたメガロパと呼ばれる生物が現れるのを見る事が出来たのです。しかし本当の奇跡は、何百万ものこれらの小さなカニの子供たちが海からあがり、浜辺を越え、海と森を行き来する人生が始まる瞬間を目の当たりに出来た事でした。息をのむような体験とはまさにこの事でしょう。
Q.   予期せぬ場所での天候の変化による撮影への影響などはありましたか?
A.   アメリカ、ウィスコンシン州に到着した時はたくさんのオオカバマダラを見られる事を期待していましたが、実際はほとんどいませんでした。過去30年にも渡りその蝶を研究している専門家クルーはショックを受けていました。一般的に、この地域では毎年何百もの蝶を見る事が出来ますが、今回は確か7匹だけだったと思います。彼は予測していなかった寒い気候のせいだと推測しています。ウィスコンシンで撮影を行った年には色々な事が起こりました。オオカバマダラはトウワタという植物を食べて繁殖するのですが、そのトウワタが凍ってしまい育たなかったのです。通常1.5メートルまで育つはずが今回は12センチしか伸びなかった事で、非常に困難な状況となりました。それでも私たちのクルーがその困難を見事に乗り越えて持ち帰った素晴らしい映像は、シリーズ中でも私のお気に入りとなっています。
Q.   『生きもの地球大紀行』プロジェクトの全体を考えた時、この制作を見事成功に導いた最も重要な要因は何だと思いますか?
A.   この計画で重要となった2大要素は継続と忍耐です。それらがなければこれらの細やかな瞬間や本物の奇跡は見逃していたでしょう。しかし、私たちは何が起きても対応出来る様に万全の準備を行っていました。

かつてはとても正確なスケジュールにのっとって起きていた大移動行動も変化してきています。例えばフォークランドでの撮影の前半ではイワトビペンギンがやって来る2週間を狙ってそこへ向かったのですが、私たちが到着した時にはすでにペンギンたちがそこにいました。どうやら動物たちの行動パターンの多くが変わってきているようで、科学者たちは、これには気候の変化が関わっていると考えています。これらの変わり続けるパターンによって今までにない困難にも直面しましたが、私たちのチームは最高峰のクルーで結成されていたので、作業を続行して素晴らしい映像を持ち帰る事が出来ました。私たちは世界中の皆様に、環境の変化や人間の足跡が動物たちの大移動にどのような影響を及ぼすのかをお見せする事が出来ればと思っています。
Q.   気候の変化といえば、氷がどの様に動物たちの、特に太平洋のセイウチの大移動に影響するのかお話いただけますか?
A.   太平洋におけるセイウチの旅は今まで撮影された事がありません。そしてロシア北東部ではとても重大な気候の変化が起こっています。彼らは大西洋に棲むセイウチよりも大きく、毎年氷が北極海域を循環する時期に合わせてアラスカからロシアへと大移動します。セイウチが生き延びるには氷が必要なのですが、今年(そしてここ数年)は雌と子供がロシアへと旅をする時に、昔はたくさんあった場所に氷が不足していました。

雄は雌たちよりも先にロシア北東部の遠隔地であるチュコトカと呼ばれる地域の浜辺へと大移動します。全血液を体の中心に集めているために、彼らの体表は水からあがった時は、長旅の疲れから蒼白か灰色をしています。そして太陽の下で暖まるとピンク色に変わります。

海を越えてやって来た雌と子供たちには、昔から氷の上が休憩場所となっていましたが、現在その氷が不足しています。そのため彼らは岸へと這い上がらなければならないのですが、そこでは巨大な雄たちに悲劇的にも押し潰されてしまいます。彼らはロシアに到着すると、安全に休める場所を探して海岸沿いの斜面や丘を登ります。彼ら自身のその巨大さ(雄は最高で重さ2トン、高さ3.5メートルにもなる)、そして環境の変化や大移動による過大なストレスが重くのしかかり、毎年何百匹ものセイウチが命を落としています。これは世界の 僻地で起こっている、その兆候を現しつつある危険なのです。
Q.   このプロジェクトはあなた自身、そして『生きもの地球大紀行』チーム全員にとってどういうものですか?
A.  

ナショナル ジオグラフィック チャンネルの『生きもの地球大紀行』は、関係した全ての人にとって3年間の大冒険でした。それはチームとして、そして個人としてある種の大移動の様なものです。私たちは冒険の途中で困難に直面し、疲弊し、しかし旅の終りにはより豊かな何かを手に入れる事が出来ました。この3年をかけた制作は、世界でも屈指の野生生物のフィルムメイカーたちがそのスキルを分かち合い、新たな限界を押し広げた努力の結晶に他なりません。

プロジェクト初日から、私は何かただならぬものを感じていました。それは今回の制作における今までにないスケールや、成功のために注ぎ込まれた多くの尽力や資源だったのかもしれません。スーダンからシベリア、オーストラリアからアマゾン、ペルーからパラオへと、『生きもの地球大紀行』のフィルムメイカーたちは想像しうる全ての環境変化と映像制作のゴタゴタを耐え抜きました。持ち帰られた50以上の全ての撮影には、世界中でのナショナル ジオグラフィックのフィルムメイカーたちの壮絶な戦いと成功の秘話が込められています。 

3年前、『生きもの地球大紀行』チームは、大移動性生物に対する視聴者の見解を根本的に変える、というがむしゃらな志を抱いていました。私たちには早い段階から持論がありました。そしてある情景を胸に描いてきました。制作が完了し、人々がその完成したシリーズを見れば、次の日の朝目が覚めた時、野を見渡し、海を見つめ、そして空を見上げるのではないかと。そしてふと、大移動している生き物を目にした時、立ち止り、ただ単に「わあ、なんて美しいんだ・・・」と言うのではなく、「応援しているから、頑張って・・・」と言うのではないかと。    
このシリーズの映像、そしてプロジェクトの延長的活動が、生命は皆が共に、そしてひとつとなって動いてこそ存在するものだという事を思い出させ、視聴者の皆様にとってある種の手本となる事を祈っています。

(c)Anup Shah